やりたいこと・出来ること〜『ミチコとハッチン』全見後感想〜

ミチコとハッチン』全見後の感想を。


以前アニメ誌で監督のインタビュー読んで「その意気込みやよし!」と応援したくなり、また製作もマングローブだったので視聴継続。

正直、最後まで乗り切れなかった。どこからか面白くなるんじゃないかと思ってたのだが。期待値が高すぎたのか。
と思い、色々考えてみました。
ちなみに、ラストは唐突かつ説明不足であんまり好きじゃないです。

つまるところは、スタッフの「やりたいこと」と「出来ること」に開きがあったんじゃないかなとは思うのだけど。



○構造に関して:ロードムービーと逃走劇
まず、最も気になった点が、この作品が逃亡劇型のロードムービーだったことに関して、何故逃亡型にしたのかという疑問がある。
中盤くらいから、「この話はどんづまりになるなー」と思いながら見ていた。ラストに希望が見出せなかったからだ。


まず、ロードムービー型のラストに関して触れておきたい。
基本的に終わり方は2種類。

A→ゴールが決まっており、ラストに明らかな「救済」が待っている(ゴールすること自体が目的)
B→ゴールは決まっているが、そのこと自体は「救済」にならず、大体旅を続けることになる(旅自体(もしくはその中での成長)の方が目的)


作品の序盤は、ハッチンの父親ヒロシを追うことが目的になる。
この時点では、A・Bのどちらのパターンか分からない。まだ話がどう転ぶか不明なので期待して視聴していた。


しかし、中盤以降、このヒロシの性格や行動が明らかになっていくにつれて、ヒロシに再会することは、必ずしも幸せにつながらないことが分かる。(16話はもうホントひどかった)
この段階でAパターンが消え、Bのパターンに進むことになるが、この作品の場合、Bで幸せになることは有り得ない。


なぜなら、「逃亡劇」のスタイルも採用してしまっているからだ。


主人公のミチコは脱獄犯であり、警察(アツコ)に追われている。つまり、「追いながら追われている」のである。
ここで、問題なのは、追う側が警察であるということである。


ここで今度は逃亡劇のラストに関して触れてみたい。
これもおおまかに2パターンに分かれる。
C→逃げ切ること自体が目的
D→逃げること自体は目的ではなく、逃げる原因になったこととの解決が目的


ミチコは、一応冤罪で投獄ということになっており、この段階ではDも有り得ると思っていたが、ミチコ自身があくまでヒロシを追うことのみ目的としているため、Dは自ずと消える。(10話でサトシとの正面対立に移行しない)そして、Cは追う側が警察ということで最初から破綻(警察から逃げ切ってハッピーエンドは原則考えられない、警察自体が腐敗とかなら有り得るが、作中の警察は割りとまとも。むしろミチコが逃亡中、余罪を犯しまくりで弁明の余地なし)。


以上のことから、かなり早い段階で、ミチコとハッチンの旅の終わりは、しょっぱいものになるなと感じてしまえたことが、乗り切れなかった最大の要因だと思う。
(個人的には、追う側がサトシ達とか別の設定も出来たと思うけど、アツコに追わせたかったのとか、ラストから逆算してこの設定にしたのかな。)



○キャラクターに関して:ミチコというキャラクターが・・・
とはいっても、ロードムービーって、やっぱりラストだけじゃないから。
むしろ、そのプロセス、旅の過程の方が大事だったりするわけで。


ラストがハッピーじゃなくても(まあ、ハッピーの方が後味いいけど)、主人公や、出会った人たちが魅力的なら、ありだよってことも多々あります。


でも、残念ながら、まず、やっぱり主人公であるミチコの魅力があんまり伝わってこなかった。
しかし、それは「女性監督が描いた生々しい女」を受け付けられないという意味ではありません。
このキャラの性格・設定は魅力的だと思うんですよ。その部分の咀嚼はクリアしてます。


その上で、非常に演じるのが難しいキャラだなと。
で、ぶっちゃけ、真木よう子さんの演技がキャラに合っておらず、かつ技術的にも未熟だったと思えてならないのです。
最初に違和感を感じて、いつか慣れると思ってたけど、最後までダメだった。
役者としての真木さんは大好きですが、それとこれは別問題で。


ただ、これは受け止め方に個人差ありますね。
私としては、粗暴さばかりが目に付き、感情の落差があまり表現出来てないように思えた。
一般的には、好評だったのかな??


ただ、ひとつ言えるのは、この作品自体が新しいことをやろうとしている作品だと思うので、役者はプロの声優を揃えるべきだったと。



○脚本に関して:何故一人で・・・
もうひとつ気になったことが。
この作品全22話の脚本をを全て宇治田隆史氏一人で書いている。
これはどういった意図があったのだろう(※調べられたら調べます)

でも、これは最近のアニメではかなり珍しいことです。
通常、シリーズ構成を一人立てて、何人かの持ち回りで脚本を書くのが主流。
とはいえ、一人で担当するのが悪いわけではない。
ただ、今回は明らかに失敗だろう。

脚本を担当した宇治田隆史氏は、元々映画畑の方で、アニメの脚本はほぼ初めてでしょう。
それなのに、シリーズ構成も含めて脚本全部なんて、挑戦的を通り越して無謀だろ。


この作品自体が映画的な作りを目指しているための抜てきなのか。
しかし、映画とアニメは違うし、もっと言えば、映画と週放送のアニメが違うんだよ。
だから、映画的手法を、アニメ的かつ全22話の週放送というメソッドで構成し直すというかなりの知識と経験が必要な仕事を任せられる人選だったかというと首を傾げざるを得ない。

それに、ロードムビーなんだから、最大の魅力のひとつが、行く先々で出会ういわゆるゲストキャラなわけで。であれば、色んな脚本家が、それぞれの持ち味出した方がよかったんじゃないか。



○まとめ
全体的な印象としては、とにかく色々と新しいことに挑戦している作品で好感を持っている。ただ、それらがひとつにまとまりきれてない。

女性監督の描いた女性が主人公、それをなじみの浅い中南米を舞台として、ロードムービー形式でやるなんて正直、放映前はかなりワクワクしてた。
ただ、声優陣や脚本はもっと足場を固めた方がよかったのではないかと思う。
全てを攻めの姿勢でやらなくても。。。

しかし、志の高い作品であることは間違いないので、今の自分にはしっくりこなくても、いつか見返した時に、全く違う印象を持つ可能性があるかなと思っています。