『SRサイタマノラッパー』鑑賞記

昨日武蔵を見た時、劇場のチラシで、見逃していた『SRサイタマノラッパー』がリバイヴァル上映してることを知り、渋谷のユーロスペースでレイトショーなら見に行けると、早速行ってきました。


150席くらいの劇場なんですが、完全に満員で、びっくりです。確かに、作品の評判は高く、1日1回の1週間の限定上映とはいえ、満席とは。。。
凄い!!!


しかして、肝心の作品自体はというと、、、噂に違わぬいい映画でした。
誤解なきよういっておくと、決して完璧な作品ではないです。そもそもが、自主映画の延長にあるような作り方なので、画像や音声の精度という最低限クリアしないといけない部分も若干粗が目立ちます。長回しの多用も、僕はこの作品にはあっていると思いますが、メリハリがないという意見も当然あると思います。


しかし、等身大過ぎる登場人物を自然とこなす役者陣、テンポよくそれでいて抑えるべき所は押さえている脚本、笑いの取り入れ方、そして、主題であるHIPHOPへの近すぎず遠すぎない距離感、などはどれも見事にはまっいました。


それでいて、この作品にはさらに映画として持つべきふたつの重要な要素を兼ね備えているという作品的硬度があると強く感じました。


情熱と同時代性です。


作中を流れる停滞した空気感、その中を生きる人々の存在感はこの時代を映す鏡のようで、それはこの時代にこそ作られるべき同時代性を獲得しています。


そして、劇中何箇所かのシークエンスは、胸を鷲掴みにされるように痛切に、何かを観客に訴えてきます。
むず痒い、恥ずかしい、見てられない、旗から見れば滑稽にしか見れない失笑を誘う状況の中で、ラップをする主人公達。
劇中そんなシーンが2回出てきますが、1回目と2回目では、まるで重みが違う。つまり、短い尺の中で成長というドラマを描ききっています。

これは、映画の構成や脚本の巧さ・演出の上手さといういわゆる頭で感じる良さですが、ここではさらに胸にダイレクトに伝わってくるものがあります、それがHIPHOPの本質であり、主人公がラップをする意味、その意味を始めて本当に獲得したことに他なりません。

ゆえに、最後のシークエンスは、それこそ名シーンというに相応しい素晴らしいものだといわざるを得ません。


物語は唐突な終わりを迎えますが、そこがまた余韻を残してくれており、心憎い。


そして、


このリバイバル上映中は、上映後に、監督やゲストによるトークショーがあるのですが、本日のゲストが



宇多丸師匠。


( ゚д゚)





エエエェェェェェェェェェェ(゚Д゚)ェェェェェェェェェェエエエエ


ホント寝耳に水だったので、リアルでこんな感じだった。
マジ歓喜
今日来てよかったー。
今日来てよかったー。
終始気味悪いくらいニヤニヤしっぱなしでした。


「劇中にあるような気まずい空気なんて何度も経験してるよ。この間のギャラクシー賞でもそうだった。帰って、映画と同じようにふーっとなる。」


あるあるw


監督を交えての楽しいトークは30分くらいに渡り、役者の方々も駆けつけて、劇中歌を熱唱、ここに、師匠がフリースタイルで加わり、劇場のヴォルテージが最高潮に!
師匠カッコ良過ぎです。


ねー、ホント今日来てよかったー。全部ひっくるめていい映画体験になった。