10年前は早過ぎた、しかし10年経ってもまだ早い「姫宮アンシー」

少女革命ウテナ』の感想というか考察というか。多分何回かに分けて。
まず1回目の題材はこちらから。
作品的には、完全にヒロインのポジションにありながら、ひとくせもふたくせもあり、おおよそヒロイン的ではない「姫宮アンシー」というキャラを考えてみたい。(※TV版にのみ言及)



「姫宮アンシー」・・・10年前のTV放映当時これはまだ時代が追いつかないだろwと思ってましたが、実際10年の月日が経過しても、まだ早いと思えてしまう。他に類を見ない特異なキャラクターであることは間違いないと思います。
そんなアンシーについて考えてみます。



まずは、外見。美形揃いの登場人物の中において、一際異彩を放っています。
一応、西園寺やミッキーから好意を寄せられているので、美形という扱いのはずです。
なのに、なんか微妙な感じなのは・・・


あの髪型のせいでしょう(断言)


私は、二次元三次元通して、他にあの髪型をしているヒトを知りません。
つーか、あれ何て言うヘアスタイル??
呼び名が分からないので、「アンシー型」と呼称しましょう。
さて、「アンシー型」は正確にはパーマのかかったロングの髪をアップにまとめてます。髪は相当長いです。
しかし、「アンシー型」にまとめられた瞬間、質量保存の法則が無視され、割とコンパクトになります。恐るべし。



この髪型だけでも十分なのに、さらに褐色肌、眼鏡っ娘、額のビンディといった特徴が付加されます。ひとつひとつの要素は悪くないのですが(個人的には褐色肌イイ!)、それが一人に集約すると話は別で、残念な感じに仕上がってます。
さらに言えば、あのセーラー服が合ってなくて、凄い浮いてると思います。
(薔薇の花嫁の衣装は幾分まし)




しかし、外見だけなら、髪をおろしたり、眼鏡を外したりするので、フォロー出来ます。
彼女が他のキャラクターと一線を画すのは、その性格・内面にあります。
まず、物語の構成上仕方ないこととはいえ、とにかく主体性が全くないので、視聴者の共感を得ることが難しいです。こいつは何がしたいのかってことが分かりませんから。行動原理が見えないキャラは正直感情移入出来ません。



さらに、含みのある言動や、肉親との密会、眼鏡キラーンなどここぞとばかりに腹黒さがにじみ出ており、おおよそ人気が出るとは思えないキャラ設定です。
そんな彼女がヒロインというのが、この作品の凄いとこなのですが、その強烈なキャラクター性ゆえか、物語の中で彼女だけが浮いてしまっている感が否めません。
他の登場人物は性格や行動理念が地に足ついてますからね。




ま、そんなアンシーですが、彼女を登場人物としてではなく、ひとつの舞台装置として見ると、なんとなく合点がいきます。
ウテナは、宝塚歌劇や、前衛演劇の手法を多く取り入れていることは衆知の事実であると思います。
ウテナを演劇的視点から見た場合、全編通じて、登場人物というよりむしろ舞台装置のように扱われるアンシーという小道具が、最後には人間性を纏い、登場人物に昇格するというのは、この作品の演出面での本質を見事に表現しているのではないでしょうか。
実際に、演劇では人間が人間以外のものを演じたりします。これは、映画やドラマにはなく、演劇だから許される表現方法なわけです。



久しぶりの鑑賞で、そんなことを思いました。
やっぱり「姫宮アンシー」は作品を象徴する、趣深いキャラクターですね。
口癖の「どぅも、どぅも」もつい口にしたくなりますし