『ONE PIECE 〜STRONG WORLD〜 』と『ROOKIES劇場版』は似てるかも

ONE PIECE 〜STRONG WORLD〜 』仕事帰りに、地元のシネコンで見てきた。
レイトはいつもガラガラでいって二桁くらいなことがザラな中、一番デカい箱で7割埋まってたのは驚異的。
平日の21時のアニメっすよ。すげーな、0巻。
かくいう自分も、0巻目当て。
原作者総指揮だけなら・・・興味はるけど、多分見に行ってなかった。やっぱ製本された0巻を本棚に並べたいよって欲求。


でも、実際見に行くとなると、原作者総指揮は結構楽しみだったんだが、土日に見に行ったワンピ好きの友人が「普通だ」と言ってたので、期待値は大分下がった状態で鑑賞。


で、見終わった感想は・・・うん、普通。いや、普通よりやや下。かなり下かも。非常に残念なんだけど。
でも、ここでワンピ原作好きだからという理由で、1本の映画に甘い評価を下すのも、なんか不公平なので、一応、帰り道で何がダメだったのか考えてみた。そしたら、ワラワラ出てきた。基本的に、なんのカタルシスもないこと、なんも想像を超える表現がないことが映画単体として見た時、弱い。


さらに、ここが一番引っ掛かったという点は、物語の軸になってる部分の既視感。
基本的に、感動させるファクターは「仲間と故郷のために自ら去るナミ、それを助けるルフィ達」でしょう。自分はそう読み取りました。
ただ、これって、アーロンの時に既にやってるよね。さらにいえば、ロビンでも同じ構図を使ってる(ウォーターセブン編)。


そこで、思ったのは、「ああ、これROOKIES劇場版と同じことだ」ということ。まあ、自分は、『ROOKIES劇場版』見てないっす。その評論をタマフル宇多丸師匠がしていた時の指摘に類似しているなということなんですけどね。


『ROOKIES劇場版』の論評において、師匠は、ニコ学のメンバーは、仲間への友情とか先生(カワトウ)への信頼という点では、テレビシリーズの中で、完全に「揺らぎのない状態」になってしまっているので、そのベクトルでさらにドラマを盛り上げるのは難しい。しかし、劇場版ではやはりその方向(信頼とか友情)に軸をおいてしまっているので・・・と指摘されてました(はず、要約すると)それを聞いて劇場版は見てないけどドラマの方はちょこちょこ見てた自分は、「なるほど」と膝を打ったのを覚えてます。


今回のワンピースも多分にそれが当てはまると思うのです。つまり、ルフィやナミ達という仲間の友情は、既に揺らぎのない状態になってしまっているので、そこを強調して「ナミの裏切り」とか言われても、全く動じないわけです。もし、それをやるなら、かなり伏線を用意して徹底的に描き、「あれ?これナミまじ離脱フラグ??」とかまでやられないと、予想が全く裏切られないわけです。


しかし、120分の劇場版で、それを描くのは至難の技でしょう。なので、やはり軸に持ってきた題材が間違ってたんじゃないのかなと残念に思えてならないのです。
どちらかというと、悲惨な状況にあるゲストキャラのために助太刀したり、あの勝手に改良されている動物達のために頑張るという、オーソドックスな劇場版スタイルの方がよかったんじゃないかなと個人的には思います。
一度クリアした壁は、やはりドラマになりにくいと実感しました。


あと、金獅子の中途半端な悪役っぷりがいけません。竹中直人に声やらせてんのに!!柘植くらいの不気味さ、狡猾さを期待してたのにっ!!物凄い憎まれ役でもなければ、冷徹な巨悪という風でもなく、悪役の美学も強敵感も全くないんだよなー。
1回負けて、最後勝るけど。その負け方もよく分からなくないっすか?(一応、腹減ってたとか言ってたけど)勝ち方の工夫とかも、子供向けながらにホント工夫してもらいたい。昔の長編ドラえもんにはあったよ。
1回目の金獅子戦、あれ頑張れば勝てたろ。
結局「ドン!!!」なのか。


というわけで、軸になるドラマの選び方、敵の描き方に難がある映画でした。