『けいおん!』6話の異常な残念

けいおん!』6話の感想を。


京アニの姿勢
原作を忠実に再現することで定評のある京アニ
しかし、忠実に再現とは言葉のあやで、どんな作品にしろ、、原作をリスペクトし、原作ファンの気持ちも鑑み、膨らませたり削ったりしてアニメとして再構成することが、この上なく上手いのが京アニだと思っている。
そんな中、原作改変者として名高い脚本家花田十輝を迎えた4話、5話は、どうなるのか?と放送前までは懸念されていたというのが正直なところだろう。
しかし、蓋を開けてみれば、原作に添った上で、話を膨らませるという京アニらしい作りになったいた。個人的には、両話とも、面白かった。
多分、このまま、原作通りの流れで進んで行くのだろうと決定付けた感があった。
となれば、学園祭でライブを行うというこの6話が、物語上のクライマックスのひとつになることは明白で、この回を過ぎると、また彼女たちのゆるやかな日常の描写に戻ることは必定である。
だからこそ、この6話に必要以上の期待をしてしまうのは致し方ないことであり、実際非常に楽しみにしていた。
ここで、期待が高まるまでの過程とけいおんの魅力を考えてみたい。



○『けいおん!』の魅力とは何か?
『かわいい女の子達がきゃっきゃ、きゃっきゃ言って楽しんでいるぬるい日常』であろう。それをユーモラスに、またかわいらしく描くことがこの作品の魅力といえる。決して、音楽と真摯に向き合う女子高生の成長を描く作品ではない。京アニはそれを十二分に理解した上で、制作をしている。



○『けいおん!』の演出・構成上でのの特徴
それは、主人公達を、とにかくかわいく見せるという点に集約される。
最たる例としては、ディフォルメされた喜怒哀楽の表現が挙げられるだろう。
さらに、彼女達のキャラクターをさらに浮かび上がらせるための台詞やシナリオで話を広げている点。
また、衣食住の細部にまで拘っていることも挙げておきたい。そのキャラの人となりを、視聴者に見せるに、衣食住を見せることは、非常に効果的で、親近感を抱かせやすい。ただ食ってってばかりいるのではないのだ。



絵コンテはアングルなど凝っているものが多く工夫が凝見受けられるが、ほとんど止め画であることに注目したい。カメラはほとんど動かないのだ。そこには、視点を定め、制作側の気配を殺し、この娘達だけを見てくださいという徹底したアティチュードがあるように思える。



○部活に励む姿を描くのは
ところで、放送開始から原作に比べて、部活に励む姿が丁寧に描かれている。何故か?
それは、「部活を頑張らないよりは、頑張ってる方が親近感が沸くから」程度であると思っている。「えー。何それ?そんなんでいいのかよ」とお思いになるかもしれないが、上述したように、この作品は音楽に入れ込む作品ではない。
いうなれば、『究極超人あ〜る』に近い。
あ〜るの登場人物達も、真剣に写真に打ち込んでいるわけではない。しかし、写真が好きなことは見て取れる。その好きなものを中心に集まった仲間達の愉快な日常を描いてるからこそ、作品として面白いわけだ。
けいおん!』も作品のあり方としては、全く同様である。
その枠組みの中で、ある程度部活に打ち込んだ方がキャラへの愛着を持ちやすいし、短い原作を膨らませやすい、そういうことではないかと考えている。
その裏づけとして、実際に楽器を演奏するシークエンスは5話までほとんどないのだ。合宿でさえ、実際に音を合わせるシーンはなかった。
さらに、もうひとつ付け加えれば、ある程度練習しているていを装わなければ、文化祭での演奏との整合性がつかないということではないか。



○本筋と付加要素の交差
以上のことを踏まえれば、楽曲も含め、ついに今まで描かれなかった演奏が、文化祭のライブという形で見ることが出来る6話に期待せざるを得ない。
なぜなら、「作品の最大の魅力=日常」の延長に、付加的な要素であった「軽音楽」が自然な流れで入ってくるからである。



京アニでライブといえば・・・
そして、やはりこれも外せない。
涼宮ハルヒの憂鬱ライブアライブ』である。
あの衝撃がもう一度来るかどうか。



○高まる期待
演奏シーンはラストであろう。
しかし、それまでの導線についても、今回の脚本・構成は素晴らしかった。
まず演奏直前の4人をアバンで見せる。律の「1、2、3,4!」でOP。
話の構成に原作にはない、律の澪への気遣いをメインに、和の唯への気遣いも交えて描く。
直前、緊張する澪を励ます3人。否応無しに期待は高まるではないか。



○そして、ついに、、、
演奏始まった直後、PV風な映像にチェンジし、曲終了(曲も短い)。
さて、これはどうだったのだろうか。皆様どうだったのだろうか。
これでよしとする人もいるのだろうか。
私は、正直、全然上がらなかった。期待はずれもいいとこである。
たとえるなら、ライブに行って、流されたのがPVだった。そんな感じ。
それはないだろうと思うのではないか。

何故、ライブを描かなかったのか?分かる人がいたら、教えてほしい。



少なくとも、この6話はクライマックスになっていない。
なりえたのに、なっていない。