『(500)日のサマー』鑑賞記

マーク・ウェブ監督『(500)日のサマー』も先日見たので、感想を。
自分の回りの評判が良かったので、恋愛系はあんま見ないのだけど足を運んだ。


内容は運命の恋を信じる文系男子と、彼の勤める会社で働き出したサマーという女の子の500日間を描いた物語。
サマーは恋なんて信じないといった現実指向のある女の子だけど、そのセンスやら何やらは文系男子のド真ん中!ちょっと癖のある(でも、僕なら彼女を分かってあげられる!)美少女なわけです。


監督のマーク・ウェブはPV監督出身で、サム・ライミ降板後のスパイダーマン新シリーズを任されており、この『(500)日のサマー』が長編初監督。
この作品自体が、500日を行ったりきたり時系列を入れ替えて描写してる。
いきなり冒頭で488日目を描き、公園のベンチに座る二人、彼女の左手の薬指には指輪が光るというシーンを見せた後、300日目くらいに飛び、「彼女とうまくいってない」と友人達に相談する主人公。アレ、どうなるのかなと興味を引かせ、二人の出会いの1日目から物語は開始し、またいったりきたりとなる。
ただ、時系列の入れ換えが効果的なのは、正直この冒頭くらしかなかった。


まず、主人公は確かに文系男子なんだけど、あんま共感を呼ぶキャラクターとまでは行かなかった。言動もそこまで、文系らしさや膨れ上がった自意識過剰さがなく、愛すべきキャラまでの昇華がない。自分の仕事を放り出すとこは嫌悪感さえ抱く。
同じく、サマーもエキセントリックというよりは、自由奔放なだけで、個人的にはそんなに魅力なし。


次に、演出なんだけど、色々凝った手法で頑張ってんだけど、ほとんど『アニー・ホール』の劣化コピーでした。現実と理想とか、通行人との掛け合いとか、それこそ時系列も。
そして最たるは、2回のIKEAデート。付き合い始めた頃の楽しかった思い出を再現させようとするんだけど、それが出来ない切なさ。まんま『アニー・ホール』のあのロブスターの名シーンだろう。(あっちは、別の彼女とだけどさ)
アニー・ホール』を見てない人には、新しく見えるかもしんないけど、自分としては興冷めもいいとこだった。いや、ちゃんとオマージュとしてやってんのも分かってんだけど、それなら原典の一歩先も見せて欲しいわけです。じゃないとただの猿真似だから。


何故そう思わされたのかというと、まあ、最後まで見ても、『(500)日のサマー』からは恋愛の楽しさや切なさが伝わってこなかったからなわけです。
アニー・ホール』は今見ても、ラストシーンでグッと切ない気持ちにさせられます。
演出、演技力、台詞のセンス、どれをとっても30年前を越えていないってのは、残念。
文系男子は夢見るなってのも分かるし、自分から動かないといけないのも分かる。ただ、それなら『猟奇的な彼女』や『愛のむきだし』の方が遥か上を行ってる。あれは、主人公が恋や愛を実らせるために、もがき足掻き努力する姿を見せてるからな。実際の恋愛も多分そうじゃん。持続させるには努力が必要なわけで。そう考えると、『(500)日のサマー』もうひとつ足りない