『時をかける少女』鑑賞記

時をかける少女』見て参りました。
日曜を利用して、筒井原作→大林版→細田版と復習してから臨む。


結論から述べると


『喰い足りない』感強し。


決して悪い映画じゃないけど、手放しで褒める映画ではないですね。


ストーリーの流れは、原作のヒロイン芳山和子の娘あかりが過去にタイムリープして、深町和男に母の伝言を届けに行くが、1972年4月に行くべきところを、1974年2月に間違って飛んでしまう。そこで出会った映画監督を目指す涼太という大学生と共に深町を探す。
細田版では、和子は美術関係の仕事に進んで未婚でしたが、今作では映画監督と結婚してあかりを生み、自身は薬学科に進み、自身でタイムリープの薬を完成させてます。ただ、何故タイムリープの薬を作りたいかとかは覚えていない。薬の完成後、すぐ事故に会い意識不明の中、うわ言のように「1972年4月。土曜日の実験室、深町一夫に会いに・・・」とつぶやき、娘に伝言を託す。


「意識戻ってから、自分で行けば?」というのは野暮なもんで、まだ覚醒しない母の力になるのではとタイムリープを決意するのは、まーあり、なのではないかと。
で、間違って飛んで、1974年、涼太の頭の上に降ってくると。このへんは、ボーイミーツガールの基本通り、美少女は空から降ってきます。


で、涼太に自分が未来人であることを納得させ、二人で協力して探していく中、お互いを意識し始めて・・・という流れ。


まず、多少ツッコミどこはあるものの、前半は正直面白かったです。ワクワクしました。いきものががかりの歌う「時をかける少女」が流れるオープニングから、二人の仲が近づいていくまでは。


が、しかし、後半から一気にただの「淡い恋物語」になり下がってしまいました。
なんといっても、物語の求心力足りうる「深町探し」は、原作・過去作経験者なら、この時代にいないことは分かってるという問題が根本としてありますからね。


で、時かけのSF・恋愛・青春という要素は、筒井原作はSF、大林版は恋愛、細田版は青春にそれぞれ比重が置かれてますが、近作は間違いなく恋愛映画。
SFや青春の要素はほぼない。
しかし、二人の幸せな結末も、恋愛を通しての成長も期待できません。
3つの壁があります。


ひとつめ、約40年の時間差。
例えば、2,3年の時間移動なら、未来に再会ハッピーエンドも在り得るけど、劇中で語られるように56歳になってるからなあ。年の差カップル・・・でも、まあ、これよか問題なのが次。


ふたつめ、時かけには、未来人の記憶は抹消されるという原則があること。
細田版にはない。でも、今回は原作の流れからあるだろうと見てました。最終的には全ての記憶がなくなってしまうのであれば、この恋物語は、茫洋なもの、凄いうすぼんやりとしたものに思えてならないのです。
人は恋が実らなくても、悲恋とか失恋で成長するでしょう。細田版は、それにより主人公の成長が、青春の1ページとして爽やかに描かれてました。
が、その恋の記憶までがっつり奪われてしまって、後に残るものって何なんでしょう?


作中でも、「記憶は消えても、約束は残る」と言及されてますが、とはいえ、和子は別の人間と結婚してるし、思い出もなんとなく心に残る程度です。
それでも、「いや。その心の片隅に残る何かが大事だよ」と反論されそうですが、だったらそのうすぼんやりとした何かを、説得力もって描いて見せてくれ!と心から言いたい。


みっつめが、一番問題なんですか。序盤で物凄く強引に捻じ込まれた伏線ですね。ここは逆に(笑)でした。「間違いなく誰かこれ乗って死ぬなー」というw


もう悲恋予想させまくり。
予想裏切って期待裏切らなくしてほしいところ、予想通りで期待外れという。


あと、根幹の問題として、大林版も同じ恋愛に比重を置いた時かけですが、大林演出の妙と、尾道の町並み、そしてまだタイムリープという題材が鮮度を残していたからこそ、素晴らしい映画だったのでないかと。
この時代の時かけとして、恋愛映画という一枚看板だけでは、突破力が乏しかったです。


と、否定的なことばかり書いてしまいましたが、仲里依紗の好演がそのへんを完全にりカバーして、トントンぐらいまで押し上げています。なんか凄いコメディエンヌになりそうな予感がしてなりませんでした。


仲里依紗目当てならオススメ!!