『ヱヴァンゲリヲン新劇場版・破 公開記念 深夜の緊急鼎談』雑感

ヱヴァンゲリヲン新劇場版・破 公開記念 深夜の緊急鼎談』いやー面白かった。もう昂ぶりすぎて、公開待ち遠しすぎて、どうしていいか分からない。ので、今日の放送を聴いて、思ったことをつらつらと。



・氷川さんは情報統制状態で、竹熊さん、宮台さん共にまだ試写さえ見ていないので、よく放送が成立したなってことを笑ってたけど、ホントそんな感じ。
・よって、新作の情報はほぼなし。マリがどんなキャラかとかに触れるくらいはあるかと思ったけど、それもなし。
・そういった情報制御が、この時代に成立していることに出演者が驚いていたが、確かにそうですね。
・ただ、合間にインサートされた、声優陣のコメントから、ストーリーは大分変わっていることが伺い知れる。


・以下は宮台さんの話した内容
・旧エヴァは、「自己の謎と世界の謎」を打ち出しておいて、自己の謎だけに着地し、世界の謎は投げっぱなしだった。新エヴァは、世界の謎に迫るのではないか
・その根拠としての時代性。旧エヴァの放送された95年は、震災、援交、オウムなどの社会問題が噴出し、停滞の時代だった。その時代を背景としたアダルト・チルドレンの出現、その自分探しが注目を得た。
・しかし、9・11以降の現代では、格差社会ワーキングプアなどの社会問題が生に直結した問題となっているため、自己の世界に捉われず、社会という視点で問題を括る必要性があり、エヴァはそこを敏感に捉えるのではないか。
・そんな時代の一例として、村上春樹の新作『1Q84』が、初めて三人称で書かれていることを挙げている。これは、主観(自己)ではなく、客観(世界)で物事を捉える必要の例示。


エヴァがモチーフとした宗教観にも言及。
・ゼーレ(ユダヤ的思想、贖罪が目的)的精神と、ゲンドウ的(キリスト教、全能化が目的)精神の趨勢の変化。90年代は、ゼーレ的精神(科学に驕った人間はもっと謙虚になるべき)がメインストリームであったのに対し、ゼロ年代は、ゲンドウ的精神(科学の利用方法を再検討し更なる極大化を目指す)が主流になる。こういった宗教的救済の概念が反映されるか。
・宗教のメタ構造が、エヴァの構造と類似しているという考え方は、目から鱗が落ちる。同じ起源を持ちながら、ユダヤ教キリスト教と派生した構造が、破からの変更で旧エヴァ・新エヴァと分岐していくという着眼点はさすが。

などなど